<校長室より>オンライン全校朝礼①「自分が正しい」にご用心

2020年6月12日 09時00分

 臨時休業による授業時数確保のため、現在本校では7時間授業を行っています。そのため+密にならないよう=全校朝礼を行っていません(>_<)。

 私が生徒の前で話す機会がなかなかないので・・・オンライン全校朝礼を行います(*^-^*)。

 

「私が正しい」にご用心

 

 正しいと思って伝えたことを、あなたの言うとおり!と受け入れてもらえることもあれば、いやな顔で反発されることもありませんか?

 二つの違いは何でしょうか?

 「私が正しい」と思っているときの心の中を見つめ直してみると、その答えが見つかるかもしれません。

 

 私たちは日常でつい自分の考え方や価値観を中心にして、それに合わないと正義に反する」と決めつけて、他の人を責めたり、争ったりすることがあります。

 何が正しくて、何が正しくないのかという道筋になる正義がなければ、社会の秩序は保たれずに混乱します。ただ、一般的な正義は、注意しなければ気付かないうちに自己中心の心が入り込みやすいのです。自分の好き嫌いや損得勘定などで、正しさの基準が変わってしまった経験はないでしょうか?

 私だけが正しいという自分中心の正義の主張は、かえって対立関係や争いを招き、問題を増やすことになります。

 

 『竜馬が行く』などを書いた小説家の司馬遼太郎の言葉に「人間は、自分は絶対に正しいと思い込んだ時に、最も残酷な事をする」とあります。自分勝手な正義を振りかざしながら、他を傷つけていることも気がつかない。また、これまで日本や世界で起こってきた戦争・弾圧・差別の歴史もまさに自分は絶対に正しい」と思い込んだ人間の歴史そのものであります。自分は絶対に正しいという思い込みが強いほど、他人の悲鳴や叫び声が聞こえなくなる、そういう恐ろしさを知らなければなりません。

 

 誰しも「自分が正しい」と思いたいのものです。何もかも自分が間違っていると思ったら、自信をなくして先に進めなくなります。きっとこの道で大丈夫、合っていると信じることができるから先に進めます。ですから自分が正しい」と信念をもって進みながらも、相手を受け入れる心のゆとりをもつことが大切なのです。

 

 人間はそれぞれ違う価値観をもつ者同士だから、私は正しい」と思った時こそ、謙虚さと相手を思いやる心が必要なのですね。

 

 「れいろう」令和2年5月号、福浄寺「今月の言葉」より