12月3日(水) 「ふるさと愛媛学」出前講座(1年生)
2025年12月3日 19時00分本日は生涯学習センターより講師の方をお招きし、1年生を対象に「ふるさと愛媛学」出前講座を
実施しました。玉川町出身の偉人(徳生忠常氏、曽我部右吉氏、越智伊平氏)の人生から、ふるさとに対する
思いを知り、自分の生き方について真剣に考えました。その様子をご紹介します。
玉川町出身の偉人①
徳生忠常(とくせい ただつね) 月賦百貨店「丸興」(現株式会社セディナ)の共同設立者
「丸興」の基本理念は「お客さんと共に栄える」として経済活動を行った。
何事にも謙虚で私生活では倹約を旨としていた徳生氏は、玉川近代美術館や玉川総合運動公園、
九和小学校体育館等の建設のために資金を提供し続け、多額の寄付をされた。
「徳生ひろば」にある記念碑文『商イハオ客サント共ニ栄エ、利運ノ財ハ社会ニ還元スル』
「お金は社会の預かりもの。たまたま私が預かっているが、いつかどこかへお返しせねばならない。」
渋沢栄一をはじめ多くの近代経済人と同じく、公益と利益を両立する道徳を身に付け、
経済活動を実践された。
玉川町出身の偉人②
曽我部右吉(そがべ うきち) 植林治水の功労者
明治17年と19年、26年の豪雨で、蒼社川の濁流と奈良原連峰の荒れ果てた草山を見て、
堤防の安全を守るためには植林以外にはないと、治山治水の重要性と必要性を痛感した。
明治31年、玉川村龍岡、鈍川を中心とする荒廃山林2,500haの払い下げを受け、越智郡共有山管理者となり、
植林造林事業に尽力し、愛媛県が全国有数の造林県となる原動力となった。地質に適するよう松・杉・桧等の
植林を推進し、「緑化の父」とたたえられた。大正元年~6年、別子銅山煙害問題の解決にも尽力し、
現在は、玉川町法界寺をはじめ数か所に頌徳碑や胸像がある。
玉川町出身の偉人③
越智伊平(おち いへい) 越智電気商会(現四国通建)創業者
衆議院議員、建設大臣、運輸大臣、農林水産大臣を歴任
永年の悲願であった「瀬戸大橋」を開通させ、「来島海峡大橋」の建設着工を実現し、
「しまなみ海道」の全線開通を実現させた。
長年玉川森林組合長も務め、週末には東京から戻って間伐するなど、林業にも従事した。
山をきちんと手入れをすると、ミネラル分が豊富な水が流れ、山や川の魚や海の海藻も良くなる
という信念で活動された。